小・中・高の理科教育における堆積学関連の内容とその問題点

林 慶一(甲南大学理工学部地学研究室)

Defects of Sedimentological Contents in School Education of Japan
Keiichi Hayashi(Konan University)

 児童・生徒から見て,堆積学関連の内容を中心とする地層の学習は,同じ理科の中でも生物や宇宙に比べて魅力の感じにくい内容の一つだと言われている.また,先生から見ても,実験や観察から導くのが難しいため,どうしても教え込みになりがちな内容だという話もよく聞く.このような地層の学習を改善し,児童・生徒から見ても先生から見ても魅力的で面白いものにするためには,教育界の外からの専門家による貢献が期待される.ここでは,堆積学の専門家に小・中・高校の堆積学関連の教育への関心を持ってもらうために,教科書で堆積学関連のどのような内容がどのように扱われているかを概観し,そこにどのような問題があるかを明らかにする.また,教師の直面してる問題についても検討するとともに,これらの問題の解決に堆積学の専門家が貢献できる可能性についても触れたい.

教科書に見る堆積学
・観察から始まる地層の学習
 いわゆる「詰め込み」教育に対する批判から,日本の理科教育ではすでにかなり以前から観察・実験を重視する方針が打ち出されている(文部省,1979など).このため,特に小・中学校の教科書では,内容を記述する前にまず「調べてみよう」というスタイルで始まっている.今年から新しく使われることになった教科書では,文部科学省が野外観察の実施をより一層重視したこともあって,地層の学習ではこの傾向がより一層強くなっている.これは野外で実物の地層を観察しようということであり,大変良いことである.しかし,この教科書のスタイルそのままを実行しようとすると,知識に裏打ちされた観察力のない児童・生徒がいきなり野外に出て地層を観察することになり,期待通りに理解が深まらないということも言われている.現在の堆積学から見て適切な地層の見方を育成するためには,やはり野外観察に先立って学習させておいた方がよいことがあるのではないか,あるとすればそれはどのような内容か,また野外観察に際してどのような指導をすればよいのかなど,専門家による検討や適切なアドバイスが期待される.観察・実験の重要性が強調され続けているにもかかわらず,地学の野外実習の実施率がここ20年近く低下し続けている傾向(宮下,1999)をくい止めるためにも,このような具体的なアドバイスが是非とも必要である.
・教科書の内容以上の発展的内容をどうするか
 堆積学関連で中学校修了までに学ぶことになっている内容は,他の分野と同様に度重なる削減・削除を受け,現在では古典的な限定された内容になってしまっている.これに比べると,高校地学は現在の堆積学をある程度反映したかなり豊富な内容を持っているが,高校地学の履修率は10%以下に下がってしまっており,多くの市民の地学的素養は量・質ともに,この中学レベルにまで低下しつつあることが懸念されている(林,1998).ところが,ここ数年「ゆとり教育」による学力低下を懸念する世論が強まり,文部科学省も従来の教科書の内容がマキシマムであるという見解から,教科書はミニマムであり発展的内容を教えて良いという考え方に転換した.しかし,この方針は教科書にないより高度なことを自力で工夫して教えることをすべての先生に求めるものであり,従来の教えることがすべて教科書に載っていた環境とは全く異なる厳しい環境を学校現場に作り出した.これまでは,教授すべき内容は,背景となる学問分野の専門家と現場の先生方の共同作業の場を文部科学省が設定し,そこでの長期にわたる議論を経て決定してきた.これと同じことをすべての先生が,自分たちだけで行わなければならなくなったということである.そこで現場の先生方にとって不足しているのは明らかに学問的な専門性である.地層の学習では,堆積学を一般の先生にある程度知ってもらわなければ,発展的内容とはいってもその中身の質は心配される.特に堆積学関連の分野では苦手な先生が多いので,発展的内容に自信がもてないという状況が広がるおそれがある.しかし,この環境は見方を変えれば,堆積学の専門家が自分が面白いと思う内容を先生方に提供すれば,それが教育内容として加えられ,多くの児童・生徒に地層の面白さを自由に教えられるということになるという今までにない開かれた自由な環境になったとも言える.
・露頭をいかに面白く教えるか
 ある露頭で観察するのに適した地質現象は,その露頭にどのような地質現象が記録されているかに大きく依存する.一方,中学校修了までに地層に関して学ぶことになっている内容は,「地層の重なり方の規則性」,「礫岩・砂岩・泥岩の地層がある」と「地層に含まれている化石から時代や環境が分かる」ということだけであり,堆積学関連では「流れる水の作用」で,流れの速いところでは侵食や運搬が起こり,緩やかになると礫,砂,泥の順に堆積するという程度のことである.新しい教育課程では実際に地層を観察する機会が増えることになると期待されるが,そこでこの眼前の露頭で観察するのに適した地質現象と,教科書で学習すべきとされている内容との関係が問題になる.学校が利用できる地域の地質には地域なりの特性があり,当然利用できる露頭にもそれなりの特性がある.そのような多様な露頭で展開される野外観察では,教科書に書かれている内容のほかにも観察者である児童・生徒の目を引き,興味・関心や疑問の対象になるものがいくつもあるのが普通である.そして,それらはしばしばその地域の興味深い地史を理解する鍵となるとともに,それによって地層の面白さを教えてくれるものでもある.地層の調べ方のエキスパートであり,地層の面白さを追求している堆積学研究者が,このような場面で提供できることは多いはずである. 
 
教師の抱える問題
・教師の知識・能力・経験
 地学の対象とする事物・現象は一般に多様性が大きく,幅広い知識と経験を持っていなければ,小・中学校のレベルといえども観察や実験を適切に指導することは相当難しい.これは地層についても言えることであり,特に野外観察を指導するにはさまざまな知識・能力と豊富な経験が必要である.しかし,教員養成課程では,他にも多くの学ぶべきことがあり,ここで期待されているような力を大学時代に身につけさせることは地学専攻の学生以外には難しい.ただ,似たような問題を抱える生物の分類学の分野では,さまざまな使い方のできる図鑑が多数出版されており,現職になってからある程度自分で研鑽を重ね実力を付けている先生がいる.同じ地学でも,星についてはさまざまな図鑑が出版されており,それらを利用して先生方も勉強できる.地層の場合も,これに相当するものを作ることができれば,大きな効果を期待できる.
・多様性の扱い
 地層の学習でも多様性をうまく使うことで地層の面白さを教えることができるが,実際の授業ではどのように扱われることになるであろうか.厳密なデータはないが,実際に筆者のこれまでに参観した授業では,子供たちが多様性に気づき,さまざまな事実を示したり,考え方を提示するの場面で,地学以外を専門とする教師は多様性よりもその背後にある共通性・規則性を重視し教えようとする傾向が強く見られた.これには,物理学や化学の研究方法の影響が強く出ているようである.しかし,このような見方の下に,地層はすべて礫岩か,砂岩か,泥岩のいずれかでできているという話に還元されてしまったのでは,地層は面白くなくなってしまう.同じ砂岩であっても,川によって運ばれてきて浅海にたまった砂岩,砂漠で風によって運ばれてきた砂岩,混濁流によって深海まで運ばれてきたタービダイトの砂岩など,その成因は変化に富んでいて,その背景となる現象は驚異的であったり,壮大であったりと非常に面白いものである.また,斜交層理やリップルマークなどの堆積構造や生痕からも古環境に関する多くの情報が得られる.先生方にもっとこれらの面白さを知ってもらう必要がある.

改善に向けて当面大学教員・研究者にできること
・インターネット上に初心者向けの堆積学図鑑をつくろう
 上記のように動植物の図鑑や星の図鑑と同様なものがあれば,野外観察をまず図鑑との「絵合わせ」から始められる.これは新たに野外観察を実行しなければならなくなって戸惑っている先生方の大きな助けになることは間違いない.従来の印刷物として出版する方式では採算性の面で難しかったかもしれないが,幸い現在ではインターネット上でその気になれば本と同じものを公開できる.費用面では,現在文部科学省がインターネット上の教育用コンテンツを開発・充実するための予算を相当額組んでおり,この事業を実行する絶好の機会でもある.
 この「インターネット地層図鑑」では,従来の教育で教師や学習指導要領があまり扱ってこなかった多様性を示すことが重要であると考えられる.斜交層理のような一つの堆積構造も,1枚の写真だけで示すのではなく,タイプやスケールの異なるさまざまなものを提示することで,多様性と同時に共通な部分は何かを理解してもらうことにつながるからである.そのためには世界中の各地・各時代のさまざまな地層の露頭写真のデータベース必要となるが,これには多数の堆積学会員からの写真の提供などが不可欠である.従来も地域的な露頭集が出版されたことはあるが,その利用は地域的なものに留まらざるを得なかった.世界中の露頭を見せて地層の面白さを十分に示し,その形成の背景に長い地質時代にわたる壮大な地球表層の環境の変化の歴史があることを物語るようなものはこれまでなかった.露頭写真に付す説明としては,教師向けのものが必須であるが,児童・生徒向けのものがあれば,利用者数は飛躍的に増大するであろう.
 もしこの図鑑ができれば,インターネットの環境がすべての学校にある現在,日本中の先生方が,いつでもどこでも気軽に利用できる.しかも,各学校の実習地に適した素材だけを選んでカスタマイズしたり,学校でつくる「手引き」の冊子の中に取り込んで掲載できる.IT時代だからこそ可能になった,学会による小・中学校の教育へ直接の貢献ではないだろうか.
・教職課程の地学の講義と実験の内容・レベルを見直そう
 現在,中学校の理科の先生になるためには,地学を専攻しない限りは,地学関係の講義と,実験を1つずつ修得すればよいという状況である.以前のように高校で地学が必修であったり,履修率の高かった時代には,これらの科目は,内容の偏りや程度をあまり考慮せずに,担当者の専門を生かして,科学とは何かを語ったり,研究はどのようにして行うかを体験させるもので,十分意味があった.しかし,上記のように中学までの乏しい地学の学力しか持たない,現在の理科教師の卵たちには従来型のこのような高度な教育が有効かどうかは疑問である(林,2002).
 地学の講義と実験を通して共通に身につけておいて欲しい堆積学の内容と経験しておいてもらいたい実習を明確にし,現在それらが不十分な大学での改善の指針にしてもらうことが必要である.大学教員や研究者が堆積学の面白さを普通教育段階の児童・生徒に直接教えることはほとんどできないが,少しでも堆積学の面白さの分かった教師を送り出すことによって堆積学の面白さを間接的に児童・生徒に教えることはできる.一人の理科教師が生涯を通して教える児童・生徒が数千人ずつであることを想起すれば,このような努力を通して,大学で直接指導して「る学生の数とは比較にならない多数の国民への教育効果を期待できる.このことが,最終的には堆積学会と堆積学という学問の社会へのアカウンタビリティを示すことにつながると考えられる.

文献

林 慶一,1998,高等学校理科教育の目標から見た履修形態の見直しの必要性.高等教育フォーラム監修「日本の理科教育が危ない」.学会センター関西, p. 211-223.
林 慶一,2002,大学の基礎地学実験の課題とその改善への方向性.日本地学教育学会第56回全国大会・平成14年度全国地学教育研究大会講演要旨集, p. 62-63.
宮下 治,1999,地学野外実習の実施上の課題とその改善に向けて-東京都公立学校の実態調査から-.地学教育,52,63-71.
文部省,1979,高等学校学習指導要領解説理科編理数編.大蔵省印刷局,135p.